「考えよ、なぜ日本人はリスクを冒さないのか」を読んで

考えよ、なぜ日本人はリスクを冒さないのか

前日本代表のイビチャ.オシム氏の本です。 内容は、6月に行われる南アフリカW杯に向けて書いた本です。予選リーグでオランダ、カメルーンデンマークと厳しい組に入った日本ですが、その中で何をしなくては行けないのか技術や精神面について記載があります。

サッカーのことが記載されているのですが、日本代表は今の日本社会がどのような状況かということを思い知らされます。技術ではなくメンタリティの問題が今の日本人が飛躍するのを妨げている。これは日本の学校教育にも関係しているのですが、自分で考えてやるのではなく、人(親、先生など)に言われて物事を行ってきたことがあります。 自分を考えてみても、そのメンタル面が全然足りていないと感じました。l これから色々変えて行かなくてはいけないことが見えきます。

サッカーが好きなひとはもちろんなんですが、日本社会はどうしていったらいいのかと考えさせられる一冊でした。

考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)
考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)

[抜粋メモ]

  • 自分たちには「何ができて何ができないのか」。もしくは相手は「何ができて、何ができないのか」。それらを冷静に、客観的に分析することが必要なのだ。どのチームにも長所と短所があるのだ。
  • 日本人は、相手を恐れ、過大評価していしまいがちな傾向がある、日本人は失敗をしたときのために言い訳を探しているのだろうか。
  • 他人に責任を押し付けているならば、サッカーという仕事をすることはできない。
  • 日本人のメンタリティの問題は「責任感がない」のではなく、その責任感に自分で限界を作ってしまうことではないか。自分で勝手に仕事の範疇を決めてしまい、それを達成すると「後は自分の責任ではない」と考える。
  • 誰かに、いつも何かを言わなければ行動ができない。「いつ」「何を」「どこで」「どうやって反応するのか」そういう考える力に欠けているのである。
  • 現代のサッカーが、今向かっている報告として、走らない選手をウィークポイントとしてつけこんでくる傾向がある。走らないプレーヤーが1人、そこにいれば相手は相対的に数的優位を作れるのだ。
  • お互いを良く知っているということは、代表チームにとって大きなアドバンテージだ。自分達の目標も、取るべき道もわかっている。自分達の目的が何かを知っていることが大切なのだ。
  • システム論を議論することは好きではない。むしろ肝心なのは、こちらはどのような特徴の選手がいて、相手はどんなチームで、どんな選手がいて、どんな戦術をとってくるのか。長所を最大限生かし、相手の攻撃を防ぎ、ゲームを支配するには、どういう戦術を採用すべきかということである。
  • 日本のストライカーを分析するならば、自身の無さが、大きな問題だと思っている。
  • 人間的にポジティブで信頼され、チームの方向性を示すのが、本物のリーダーである。そのリーダーはチームによって選ばれなくてはならない。
  • 誰かより弱いことを認めるならば、「なぜ弱いか」が学べるのだが、日本人は自分が誰かより劣っていることを認めることを嫌がるのだ。
  • 何かに勝つためには、リスクや犠牲を負わなければならないのだ。
  • 日本人はサッカーを人生の一部と考えるほどの覚悟があるだろうか。「ハングリーがない」とはそういうことである。
  • 私も、時折「日本人の無関心」を感じたことはある。負けることをまるで仕事の一部のように捉え、敗戦に慣れてしまっているのだ。「最後の意地、最後の一蹴り」と呼ばれるものを持っていない。それは競争を勝ち抜こうとするための意地やプライドであり、人間的な迫力といってもいいかもしれない。
  • 言うまでもなく練習がなければサッカーなど成り立たない。勝利への意思は練習によって訓練されるのだ。負けることを何とも思わないような選手には用はない。
  • 少なくとも、チャンスを逃したり、良いポジションにいる味方にパスが出せなかったりしたときには、無関心を美学とは思わず「言葉の戦い」は、すべきだと考えている。
  • 模倣はどこまでいっても模倣である。