昨日の夜から自己分析を少ししていた際に思ったこと。
Twitterでフォローをすることで、他人のつぶやきを見ることができて非常に面白いです。 フォローはこちらから一方的にはできる反面、相手からフォローをされるのは相手次第に成ってきます。
最初使い始めた時には情報を収集するためのツールという認識で使っていたので特に気に留めてなかったんですが、相手から一度フォローをしてもらっていたのに外されていることが目に入ってきました。(最近iPhoneに入れた「TweetMe」を使えば、ユーザーが片思いかどうかわかる)
細かい性格な私なのでどうして外されたのかを変に考えてしまうんですよ。 ぜんぜん@やRT,QTでコミュニケーションをとってないからなのか、それとも僕のTweetが面白くないので見る価値がないと判断されてしまったのか。 これはネット上でなくても恋人や友達と別れる時もまったく同じですね。
現実でもネット上でもコミュニケーション能力は大事です。
どこでどうやって会話に入っていいかがわからないのでただ黙り込んでしまう。 ここで割り込んだら、相手が嫌な気持ちにならないのか。話を遮ってしまわないか。これは正しい受け答えなのか。 話すよりそういったことを先に考えてしまいます。
何もしないので関係も深くならない。
こういった、人の目を気にしすぎるのは幼少期のトラウマを引きずっているのが原因だと思います。 昔、サッカーをしていた時に下手だったので、上級生や同級生に虐めらた経験を持っているので、 こんな嫌な思いをするなら、最初から関係を持たない方が良いと考えるようになってしまったいる自分がいます。
今となってはとるにたらないことかも知れませんし、結局自分が悪いのではないかと自己責任と考えることもできるかもしれませんが、 そのときに負った悲しみが忘れられないんです。
そういったことを夜考えてました。
細かく考えても仕方ないので今日からは、少しでもいいのでうまく会話ができるように、失敗を恐れないように、自分の思ったことができるように行動していきたいです。
「わたしは“結果”だけを求めてはいない。“結果”だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな…違うかい?」 ジョジョの奇妙な冒険より